同明会能

第69回 同明会能 【解説】

今回の番組は“京の都”の旧跡を舞台にした曲目をご覧いただきます。

現在も人々に親しまれ、観光地としても賑わう名所ですが、その往時の物語をお楽しみください。

松尾(まつのお) “松尾大社”

都の西にある松尾明神社に参詣した天皇の臣下の前に、老人が若い男を伴い現れます。老人は社の謂れを問う臣下に、松尾明神は仏が衆生を救うために神の姿をとって現れたものだと説き、夜神楽を拝むようにと言い残して姿を消すのでした。やがて夜になると松尾明神が現れ、臣下を労い颯爽と夜神楽を舞ってみせます。
舞台である松尾大社は、境内に霊泉『亀の井』を有する京都最古の神社で、醸造の祖神として全国から厚く信仰されています。創建時は農業、土木工業の守神として信仰され、平安期に都を守護する神となりました。
舞囃子では松尾明神が清々しくテンポの速い【神舞】を舞い、若い神の神徳を表現する場面を演じます。本曲は宝生流にのみ伝わる稀曲です。

 

女郎花(おみなめし) “八幡 男山”

男山石清水八幡麓に住む小野頼風は、都の女と契りを交わすも暇が無く、次第に彼女の元へ通わなくなります。頼風の心変わりと思い込んだ女は、放生川に身を投げ果ててしまいます。
彼女の亡骸を埋葬した塚からは一本の女郎花が咲き、頼風は彼女が花になったのだと愛おしく思い、近付こうとしますが、彼を恨むかのように花は靡き退いてしまいます。これも自らの科(とが)によるものと深く悔やみ、彼も同じ放生川に身を投げ自死してしまいます。
男女の亡霊は、邪淫により地獄で苦しみ続ける有様を見せ、僧に成仏させてくれよと頼みつつ姿は消えていくのでした。
舞囃子では頼風が自死を決意した心うちと、地獄での有様を一人で演じます。

 

西行桜(さいぎょうざくら) “嵯峨 小倉山”

春、都の外れ、奥嵯峨野の地に隠棲する西行の庵は、名桜を求める花見客で賑わいます。
西行は、花見客によって静寂が破られてしまうことは、「桜の咎」だと歌を詠みます。
その夜、夢の中に老翁が現れ「花に咎はないはずだ」と先ほどの西行の詠歌に不服を申し立てます。
老翁の言葉に西行が合点すると、翁は自分が老いた桜の精であることを明かし、都の花々の美しさを称え、過行く春の夜の名残を惜しみつつ舞を舞います。やがて、春の夜が明けるなか、桜の精は散る花とともに静かに跡形もなく消えると、西行も夢から覚めるのでした。
静寂な春の宵、落花はほのかに白く、蘇東坡の詩『春夜』を具現化したような世界を人間国宝・大坪喜美雄師の舞でお楽しみください。

 

花月(かげつ) “清水寺”

シテは清水寺の門前で芸能を見せる喝食で名は花月。喝食とは、禅寺で食事の順序などを知らせる者でしたが、室町期には剃髪していない少年僧を指すようになりました。
花月は桜花満開の清水寺で、当時流行った芸能を次々に演じます。
花月は筑紫に暮らしていたのでしたが、七歳の時天狗に攫われます。花月の父は旅僧となり息子を探し丁度清水寺に着いたとき、花月の芸を見たのでした。
様々な芸を見るうちに父は花月こそ我が子だと確信し名乗り出て再会を果たします。
舞囃子では、清水寺の縁起を語る地主の曲舞が舞われ、それに続く再会の場面は省略され、羯鼓、山巡りの舞と続き父子は揃って修行の旅に赴き終曲となります。
山巡りとは、攫われた花月が諸国の山を巡った苦難を回想するもので、父との再会の喜びを引き立てる部分でもあります。

 

橋弁慶(はしべんけい) “五条橋”

京の五条の橋の上。牛若丸と弁慶の出会いを描いた作品です。
大きな長刀を振り翳す弁慶を、牛若丸はひらりひらりとかわし、弁慶を翻弄し、遂に弁慶は降参します。そして、この牛若丸こそ、源義朝の御曹司(後の義経)であると知った弁慶は、家来となり従うことを誓い、ともに九条の御所へと向かいます。一般には千人斬りを目論む弁慶を牛若丸が阻止する話として知られていますが、能では牛若丸が狼藉を働くという設定です。
いずれにせよ、女装の少年と長刀を持つ僧兵という対比で演出された二人の出会いの場面は劇的で、「船弁慶」、「安宅」と続いてゆく悲運の英雄主従の物語の端緒を飾るものと言えるでしょう。
九条の御所とは、母・常盤御前の居所と思われます。常盤御前は、牛若丸の狼藉を嗜め鞍馬寺に入れようとしますが、この出来事は寺に入る前夜であり「鞍馬天狗」とも繋がってゆきます。
平安時代の五条橋は、現在の五条大橋より少し北に位置する松原橋にあたります。

 

来殿(らいでん) “比叡山”

比叡山の座主 法生坊が天下祈祷の為に護摩を焚いていると、深夜に扉をたたく音がします。不思議に思い見てみると菅丞相(菅原道真)の霊でした。師であった法生坊は招き入れると、菅丞相は師の御恩に謝意を示し、旧交を温めます。ところが菅丞相は、にわかに藤原時平の讒奏により、無実の罪を着せられた恨みを思い出し、仏前に備えてあったザクロをかみ砕き妻戸に吐きかけると、たちまち燃え上がります。法生坊は冷静に浄めの灑水印を結んで火を消すと、菅丞相はその煙の中に隠れ消えます。
法生坊は、また菅丞相の霊と再会しようと待ち続けていると、妙なる音楽が聞こえてき、菅丞相が天満天神となって現れて、天皇より大富天神の神号を賜った御恩を喜び、舞を舞います。やがて天満天神は都の北野へ遷座し、国土安全長久と言祝ぐのでした。

菅丞相が暗いお堂の中で、恐ろしげな恨みの魔力を見せる前半と、一転して喜びの舞を舞う風雅な後半の対比が印象的な曲です。
元々は他の流儀と同様に「雷電」と書き、後半は菅丞相の霊が雷を落とし暴れ回るストーリーでしたが、菅原道真の子孫と称していた宝生流の大後援者である加賀藩主前田家13代藩主前田斉泰公が改作させて、後半が舞を舞って天下を言祝ぐ、祝言曲となりました。同様の曲に金剛流の「妻戸」があります。

シテは能楽界屈指の名手 武田孝史師。至高の能をご覧下さい。

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