同明会能

第70回同明会能 【解説】

翁(おきな)

「能にして能にあらず」と言われる、上演すること、鑑賞すること自体が神事である、神聖な曲です。
全員着座すると、翁が「とうとうたらり」という呪歌を謡い、千歳が颯爽と露払いの「千歳之舞」を舞います。次に翁が面をつけ、神格を得て、天下泰平、国土安穏を祈祷、祝福して厳粛な「翁之舞」を舞います。舞がすむと翁は面をはずし、千歳を伴って帰ります。
続いて五穀豊穣を祈念する三番三となり、三番三が田を耕す型をする「揉之段」を舞い、面箱と問答ののち、種蒔きの型をする「鈴之段」を舞って終わります。
この曲は、ストーリーはなく、それぞれの意味合いを持ったオムニバス構成となっており、各パートで独特の足拍子を踏み、「リズムの渦」とも言うべき囃子が演奏されます。観る物の穢れを祓い浄める(元気(もとのけ)が枯れた状態を補う)、言うなれば、神社に参拝したのと同じ意味合いを持つとされています。
また、この曲は、ありとあらゆる形式が他の曲と異なります。
1.上演7日前より別火と称し、神社などでもらってきた、神聖な火で煮炊きし、家族から離れて生活し、身を清めて舞台に臨みます。(現代では簡略化されている)
2.鏡の間(揚げ幕の中)には翁飾りという、八足台の上に、神酒、洗米、浄め塩、面箱、侍烏帽子が置かれ、開演前に演者全員が神酒を飲み、洗米を含み、塩を身に振り、切り火(火打ち石でおこした火)で身を清め、舞台も切り火で浄めてから上演します。
3.登場は面箱、翁、千歳、三番三に続き囃子方、後見 、謡も本幕(幕を完全に上げた状態)から出て、翁が舞台正面で拝礼するときには橋がかりで下居して控え、翁が着座すると急いで舞台に入ります。地謡は囃子の後ろに着座します。
4.囃子の構成が、笛、小鼓3人、大鼓で構成され、真ん中の小鼓を頭取、その横を脇鼓、手先といい、頭取が間をとり、手の見計ライをします。翁は笛と小鼓の3人のみで演奏し、大鼓は三番三から入ります。また、石井流大鼓はお調べ(上演前のチューニング)では打たず、翁の中でお調べ(真ノ調ベ)を打ちます。
5.謡には囃子のリズムに合った拍子合(ひょうしあい)と、リズムに合わない拍子不合(ひょうしあわず)とがありますが、翁は全て拍子不合で謡います。
6.後見、囃子、地謡は素襖、侍烏帽子を着用します。

高砂 八段之舞(たかさご はちだんのまい)

有名な一節「高砂や」から始まる舞囃子。住吉を訪れた阿蘇の神主・友成一行の前に住吉明神が現れ、神徳を顕わして颯爽と舞を舞うと、人々に寿福を与えて治まる御代を祝福するのでした。
八段之舞とは、常は五段の【神舞】を八段にして舞う演出。舞の楽章が単純に増えるだけではなく、テンポも常より急調になり、また初段から四段にかけてはシテの足拍子と囃子の手組、掛け声が呼応し、甚だしい緩急がつきます。極限までの速さと強さ、激しさにより人知の及ばない神の威光を表現します。

一調(いっちょう)

一調は謡一人と小鼓もしくは大鼓か太鼓の一人が一対一で演奏します。短いながらも、能を一番観たのと同じ満足感(密度)が得られるような演奏が必要といわれ、通常の演奏とは異なり複雑で華やかな手(リズム)を打ちます。本日は2番共に石井流大鼓の別習一調で、高度な技を要求される、位の高い上演形態です。

勧進帳(かんじんちょう)

能「安宅(あたか)」の一節を演奏します。都を追われ、山伏に変装し安宅の関に到着した、義経弁慶の一行は山伏ならば勧進帳を読めと言われ、弁慶が何も書いていない勧進帳を堂々と読み上げる場面を演奏します。一調としては特段複雑な手を打つわけではなく、むしろ間や気によって、勧進帳の言葉を引き立て、主君を必死に守ろうとする弁慶の心を表現します。

鐘之段(かねのだん)

能「三井寺(みいでら)」の一節を演奏します。行方不明となった我が子を探し、三井寺にやって来た狂女は月夜の鐘の音に誘われて、狂気して鐘を打つ場面を演奏します。鐘の音を「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」という涅槃経の四句偈(万物はすべて変転し生滅するものであると説く)に見立て、それぞれの句を引き立てる手を打ちます。

 

安宅 延年之舞(あたか えんねんのまい)

兄頼朝と不仲となり奥州へ向かう源義経一行ですが、加賀国安宅の関で逃亡を妨げられます。しかし、弁慶(シテ)の機転により難を逃れ、弁慶は関守に舞を披露し、無事に関所を通ることができた、というのが一曲のあらすじです。
舞囃子は、弁慶が舞を舞う場面です。通常の演出では、男舞を舞いますが、今回は延年之舞という特殊演出です。
延年之舞とは、大寺院での法要での僧侶や稚児による遊宴の舞で、観世流では比叡山延暦寺のものを取り入れたといわれています。
舞の途中、三段目には延年の手という囃子事があり、シテも掛け声を掛けたり、両足を揃えて飛び上がるなど、延年の舞特有の緊迫感のある演出です。
また、この場面、無事関所を通過し安堵した矢先、先刻の無礼を詫びようと現れた関守の前での酒宴の場です。謝罪だけが目的だったのか、或いはまた再吟味が目的だったのか定かでない緊迫した状況下であったということも書き添えておきます。

卒都婆小町(そとばこまち)

「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになりましょう」という小野小町の言葉を真に受けた深草少将は、九十九夜まで小町の元へ通うのですが、最後の一夜を目前に悶死してしまいます。
かつては美貌を誇り、数々の浮名を流した小野小町でしたが、いまは老醜を晒すまでになっていました。その小町に、深草少将の霊が憑き、かつての百夜通いを語る場面が舞囃子で演じられます。まず物着という短い囃子が入ります。これは、装束を着けた能では烏帽子や長絹をつけて小町が深草少将の姿に変わる場面です。その後、イロエの囃子を経て、深草少将の悲惨な苦患の有様を数々の所作で見せますが、やがて、狂乱も覚め、悟りの道に入ることを祈念しつつ終曲となります。
能の上演では、卒塔婆に腰掛けているところを高野山の僧侶に咎められた小町が、深い仏道の知識で僧侶を言い負かす場面から始まり、いまの老醜を嘆くうちに深草少将の霊が憑くという展開になります。金剛流では、関寺小町、鸚鵡小町とともに三老女とされ、特に重く扱われる曲です。

鷺(さぎ)

帝は神泉苑に行幸され宴を催された。折から池の水際に鷺のいる景色を風雅に思われた帝は、あの鷺を誰か捕らえよと命じます。宣旨を受け蔵人は覗い寄って捕まえようとしますが、鷺は驚いてばっと飛び上がってしまいます。蔵人が、勅定ぞ!と呼びかけると鷺は元の場所に飛びくだり、おとなしく捕らえられます。帝は大いに感心され、勅に従った鷺に五位の爵を授けると、鷺は喜ぶかのように飛び舞いますが、やがて放されて飛び去ります。
鷺が優雅に飛び舞う様子をあらわすこの曲特有の「鷺乱(さぎみだれ)」という舞が見どころです。

道成寺 古式(どうじょうじ こしき)

本曲にのみ使用される釣鐘は、その大きさ、重厚感も相まって、舞台全体を圧迫し、一曲を通し独特の緊張感を与えます。
紀州道成寺での釣鐘の落慶法要の場に一人の白拍子の女が供養の舞を披露させてほしいと現れます。
法要の場で女は独特の拍子を踏む舞【乱拍子】、【急之舞】を舞っていましたが、隙を見て鐘を落としてその中に入ってしまいました。
報せを聞いた住職は、寺に伝わる昔語りを始めます。それは、昔、山伏に裏切られたと思い込んだある女が蛇体となって男を追い、男が道成寺の鐘に隠れたところ、炎を吐き鐘もろともに焼き殺してしまった、というものでした。
女の怨念が未だに強いことを知った僧たちは祈祷し、鐘を引き上げましたが、鐘の中からは蛇体に変わり果てた女が現れます。僧たちとの争いの末、蛇は自らの炎で我が身を焼きながら、日高川の底へと姿を消すのでした。
「古式」の演出では通常とは異なり、白拍子が中年の女から若い女へと変わります。それによって面、装束等も変わり、より生々しく、激しい演出となります。
曲中のいたる所に秘事、口伝が埋め尽くされている難曲「道成寺」を勤めるということは、能楽師にとって一つの大きな節目にもなっています。
20分程もかかる【乱拍子】はその中でも代表的な習い事であり、白拍子が特殊な足遣いで舞う舞を小鼓の一調にて奏します。静寂な「間」を小鼓の打音と、裂帛の掛け声で区切りをつけながら演じます。その後、鐘への抑えきれない感情が爆発し、激しい【急之舞】へと移っていきます。

 

第70回同明会能

PAGE TOP